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2020年9月 9日 (水)

「京都芸術大学」名称差止訴訟判決を引き続き考える。

 前回のブログ記事で、「京都芸術大学」名称差止訴訟判決をご紹介しました。

 その中でもちょっとだけ触れましたが、最後の「京都市立芸術大学」「京都芸術大学」の表示の類似についての判断よりも、市立芸大が主張していた「京都芸術大学」周知性が否定された点が一番の分岐点ではないか、と思うのです。

 ちょっと意地悪に考えてみると、これが、青山学院事件のように、京都から離れた広島の呉あたりで、「京都芸術大学」が設置されたとすれば、さて、どうなったかな、というと結構面白い思考実験になるのかな、と思います。今回の判決の判断からすれば、今回よりも離れているので、もっと「京都芸術大学」周知性は認められなかったことに当然なるのですが、実際にそう考えられただろうか、あるいは、その場合でも「京都市立芸術大学」との類似が認められなかったか。いや、私も現時点でよくわからんのですが。

 さて、この判決について、昨日(9/8)、知的財産権がご専門の島並良神戸大学教授がTwitterで次のように投稿されておりました。

「京都芸術大学事件の大阪地判を読む。同判決は、「京都市立芸術大学」の著名性を否定。周知性は肯定しつつ、その構成要素のうち「市立」部分のみ自他識別機能が高いとして、要部「京都市立芸術大学」全体と認定、結論として「京都芸術大学」とは非類似と判断。」

「たしかに静的にはあり得る判断だが、被告が「京都造形芸術大学」から「京都芸術大学」に改称したという経緯は、結論に影響を与えていないように見える。こうした意図的な「擦り寄り」行為等、動的な側面を標識法がどのように捉えるべきかを考えていく必要がある。」

「特に本件では、原告側が「市立」という誤認防止要素を含むばっかりに、それを欠く一般的な「京都芸術大学」を、「造形」を削除するという「擦り寄り」によって許す結果となった。最初から「市立」を含まなければ良かったというのでは、誤認防止に努めた者に却って不利益を与える結果とならないか。」

「本判決は、「混同のおそれ」ではなく、それ以上に規範的な「類似性」非充足で請求を棄却した。何をもって類似と捉えるかは標識法の永遠のテーマだが、「市立」「造形」でせっかく識別されていた状況を造形を除くことでより悪化させた、という経緯をも類似性判断に取り込むことはあって良いのでは。」

 島並教授が指摘されている「擦り寄り」行為等の動的側面を考慮すべきではないか、というのは、大変興味深い考え方に思えます。

 そして、これは、大阪公立大学の英語表記問題にもつながるところかもしれませんね。そちらの問題についての当ブログの記事はこちら。

 → 「大阪公立大学の英語名称「University of Osaka」」 (6/30)

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